<校 訓>
<校 章>
遠軽名産のハッカの花と、『論語』の一節「年寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知るなり」による柏(カシワ)の葉を図案化したもの。 ※昭和25年4月の、「北海道立遠軽女子高等学校」(女子校) と「北海道立遠軽高等学校」(男子校)の合併による「北海道遠軽高等学校」発足時にほど近い時期に制定されたと思われる。昭和34年2月の火災により、沿革、学籍簿など昭和25~34年の公的記録は一切焼失したため、経過の子細は検証できない状況にある。 |
<校 歌>
作 詞:高橋 淳 作 曲:大中 寅二
一、瞰望巌に 雲晴れて 理想はてなき みどり野の
ひろきにこころ琢きては 日に新たなり わが生命
見よ オホーツクの空のもと 集うわれらの 夢わかし
二、恵みはふかき 湧別の 流れゆたかに 澄むほとり
文化のはなを培えば 真理の光 学窓に満つ
見よ オホーツクの空のもと 勢うわれらの 眉あがる
三、敬愛かおる 柏葉の 清き校風 うけつぎて
ゆくてにかざす 自治の旗 歴史に映ゆる わが園生
見よ オホーツクの空のもと 学ぶわれらの 栄光たかし
(昭和27年1月30日制定)
▼遠軽高校の校歌を作曲された大中寅二さんについて~ |
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明治29年東京生まれ。大正8年に同志社大学を卒業。その後、東京都港区の「霊南坂教会」でオルガニスト及び聖歌隊指揮者として勤務し、「赤とんぼ」の作曲をされた「山田耕筰」先生に師事。大正13年、ドイツ留学を経て、昭和11年に国民歌謡である「椰子の実」を作曲。生涯でリードオルガン曲約800曲、パイプオルガン曲約30曲、合唱曲約300曲、子どもの歌約300曲を作曲。その後、東洋英和短大講師をされ、昭和57年4月に帰天。 |